花あかり


真岡市専修寺
親鸞聖人
750回大遠忌法要

 建暦元(1211)年、流罪から5年後、親鸞聖人は赦免されました。それから2年ほど越後に留まったのち、恵信尼と子供たちとともに新天地、関東に旅立ちました。親鸞聖人42歳の頃でした。約20年間、関東各地を行脚して専修念仏をひろめられました。
 聖人53歳のとき下野の国高田に来られ、その地に多くの門弟が育ちました。門弟の懇望で一堂を建立し、長野の善光寺から一光三尊仏を迎えて本尊とされたのが、専修寺の草創といわれます。また、専修寺は親鸞聖人が建立した唯一の寺であるとされます。
 専修寺は、専修念仏の根本道場の聖地となりました。この寺を中心とした門弟は高田門徒と呼ばれ、真宗最大の教団でしたが、戦国時代に兵火によって消失。衰退して教団の中心は伊勢国一身田(現在の津市)に移ってしまいました。
 その後、江戸時代に復興し高田派は本寺と呼んで尊んでいます。親鸞聖人の宗教史跡として国から重要文化財に指定されています。この歴史ある専修寺で、親鸞聖人の750回大遠忌法会が平成24年3月9日から11日まで執り行われました。
 
 
総門如来堂
素朴な茅葺きの総門 国重要文化財        如来堂(にょらいどう) 国重要文化財
御影堂親鸞聖人坐像
御影堂(みえいどう) 国重要文化財         御影堂の親鸞聖人坐像 県重要文化財
750大遠忌法会法話
御影堂で750回大遠忌法会勤行の様子       浄土真宗高田派 新門主によるご法話
 高田派僧侶による正信偈読誦の様子を動画でお伝えします。東西本願寺のおつとめに慣れた方々にすると、これが同じ正信偈なの?と、新鮮に聞こえるでしょう。
 また、動画にはありませんが、ご和讃なども、とってもステキな響きでした。
 
憐愍善悪凡夫人  真宗教証興片州  選択本願弘悪世 還来生死輪転家 決以 までです
 専修寺の境内には、京都で聖人のご葬儀を執り行った第3世顕智上人が遺骨を持ち帰った親鸞聖人の御廟があり、鎌倉時代の創建といわれます。
親鸞聖人御廟のいわれ親鸞聖人御廟
 当初、専修寺の750回大遠忌法会は昨年3月に予定されておりましたが、大震災が起こったため見合わせて、今回の法会になったといいます。
 震災で亡くなられた大勢の方々に心から哀悼の意を捧げるとともに、東西本願寺を始め、多くのお寺院で大遠忌法要が円成された現在、改めて、50年に一度のご縁を持たせていただきましたことに感謝申し上げます。
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